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理二の学生・OBOG・先生が語る 理科大Voice

東京理科大学理学部二部学生の活躍に寄せて

  • 教職員
  • 大学院科学教育研究科長・伊藤 稔先生

大学院科学教育研究科修士課程に平成28年4月から理学部二部数学科を卒業した鈴木敏則先生という方が入学してきました。鈴木さんは、60歳で埼玉県の公立高校の数学教員を定年退職された後に理学部二部数学科に入学され、民主教育研究所の事務局長という激務をこなしながら無事にご卒業され、向学心は、さらに自然に燃え上がり、大学院に進学してきました。

 鈴木さんの姿を見て、‟自由”というのは“自然に由来する”ことを省略した言葉で、創造性や多様性という意味に言い換えることができると思いました。しかし、“自然に由来する”自由が、今では、大人から子どもまで、「自由の自」は、「自分の自」というように受け取られて、「自分がやりたいようにやればいいんだ」「自分さえよければいいんだ」というように使われていることが多い現在社会の風潮が、他方にあります。そのような中で、大学院に入学された鈴木さんは、「自由の自」は「おのずから」という言葉で言えるような「自」であることを、他の若い院生(自分の娘や息子ほど年の離れた20代)たちへ、自らのこれまでの教育実践を時々、お話してくれます。

 戦後特に、教育現場では、こどもの「自主性」「自律性」「自発性」という言葉が大事にされてきました。これらの言葉の「自」ということが、「自分の自」という意味でしか、用いられていないのではないか?学生達と議論しました。「自主性」とは、「おのずから主になる」「自然に主になっている」ということ。「自発性」とは、すなわち「自然発生」を指していること。また、「自律性」とは、「おのずから律しられて居ること」であり、「自分が律していくのではない」ということ。人間がこの世に生を受けてから、「おのずから主になっている」すなわち、「代理不可能」であり「誰かに代わってもらうわけにはいかない存在であること」であり、人間は、生まれながらにして、そういうことになってしまっていることを「自主性」というのではないか、「自由」とは、「創造性」や「多様性」と同義語ではないか、等々、大学院のゼミで議論しています。

 私は、主に学部や大学院で教育学分野の授業を担当しています。教育内容(カリキュラム)の歴史の中で、西洋の「7自由科目(セブン・レベラル・アーツ)」に対して、東洋(中国)の四書五経を紹介しています。中国の六経(「りくけい」または六芸として、『詩経』、『書経』、『礼』、『楽』、『易経』、『春秋』)の1つとして『易経』を紹介しています。『易経』は、現在の日本では「占い」の書、程度でしか受け取られていないようですが、中国の歴史の中では、長く親しまれてきたようです。1924年にドイツ人のヴィルヘルム(Wilhelm, Hellmut;宣教師として1899年から20年以上中国に滞在し、北京大学教授を歴任)が『易経』を独語に訳して西洋に紹介しました。その後、新版改訂の折、1950年に妻のベインズ夫人が『易経』を『The Iching or Book of Changes』(易経または変化の書)と英訳したものが広く世界中に紹介されています。その英訳本の序文にヴィルヘルムの友人であった心理学者ユング(Jung, C.G)が寄稿しています。日本語訳は、「易と現代」として、『東洋的瞑想の心理学』(C.G.ユング著、創元社、270-321頁、1983年)の中に紹介されています。

 その序文で、ユング自身は、西洋哲学の因果性や偶然性、共時性(synchronicity)についての話をしています。例えば、「自然の明確な法則性に対するわれわれの信念にもかかわらず、われわれはいつも、偶然という概念をかなり用いている・・・心理学的知識のある人ならほんとうは偶然でないということがはっきりわかっている場合にも、われわれはふつう、多くの心理現象を“偶然だ”と言っている・・・フロイトは、言いまちがいとか、読み誤りとか、失念といった現象が決して偶然だけで起こるわけではないことをすでに解明している・・・因果性の概念は、単に統計的な真理であって絶対的なものではなく、・・・一種の作業仮説であり、・・・共時性は、空間と時間における複数の出来事の間の暗合を、単なる偶然以上の意味を持つものと考えることである」と記しています。さらに、現在の遺伝子治療や科学技術も、行き着くところは確率により計算されます。ユングはすでに60年以上も前に、「古代中国の精神が宇宙について観察するやり方は、現代の物理学者の見方にくらべられる。現代物理学は、世界に関するモデルは明らかに心理-物理的な構造を持っている、ということを否定できない。つまりミクロ次元の物理的出来事は観察者をも含んでいるのだが、ちょうどそれと同じように、易経がとらえる現実は、その瞬間的状況の全体の中に、主観的な、つまり心理的な諸条件をも含んでいる。」ことを見抜いていました。これは、現代物理学者のフリッチョ・カプラらの指摘よりも20年以上前のことです。

東京理科大学理学部二部学生の活躍に寄せて

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